津和野の生んだ著名人といえば、森鴎外先生の名前が真っ先に挙がります。
文久二年一月一九日、鴎外先生はここ津和野で生まれ、十歳までこの地で過ごしました。十歳で上京したその後は軍医、文筆家として活躍し、今もその名を世に留めています。
三松堂には、「鴎外」という名のお饅頭があります。もちろん鴎外先生にちなんでつけた名前です。この饅頭、当店で一番最初に創られたお菓子でもあります。
中の餡は抹茶風味なのですが、たくさんの抹茶が使ってあるので瑞々しい緑色をしています。着色料などは一切使用していません。お茶と一緒でも美味しいのですが、本物の抹茶をたくさん使っているため白湯で召し上がられると、抹茶の風味をより一層楽しむことが出来ます。
甘さを抑えてあるので、比較的お菓子が苦手な方でも大丈夫な事が多いようです。お買い上げになる方は、観光客よりも、昔から当店を知っている地元の方や、津和野出身の人達が多いですね。最初に作られたお菓子だから、というのもあるのでしょうが、おそらくこれは宣伝が影響しているのでしょう。というのも、当店では昔から今でも、あまりこのお菓子の宣伝をしたことがないんです。その理由はと聞かれれば、鴎外先生の名前を頂いたのだから、としか答えようがありません。名前を使わせて貰っているだけで、私たちは十分なんです。
最初にこのお菓子を創った当時、三松堂創業者・小林萬吉現会長は名前を何にするかまで考えていませんでした。抹茶を使ったお菓子を創ろう、としか頭になかったのです。抹茶餡を作りながらどうしようかと考えていたら、ふと頭に浮かんだのが鴎外先生の旧宅でした。
「そういえば、先生の旧宅の周りにはお茶の木が植えてあったな」。この事を思い出した会長はその瞬間鴎外先生の名前を頂こう、と心に決めたそうです。
その旧宅は今でもここ津和野に残っています。ここで鴎外先生は生まれ、幼少の多感な時期を過ごしました。そして十歳のときに上京し、それ以降二度とここ津和野に帰郷することはありませんでした。
心の中には石見の国・津和野の思い出が何時までも美しい風景の記憶とともに残っていたのではないでしょうか。
記憶の風景とは少し様相が変わってしまったかもしれませんが、彼が幼少の頃を過ごした旧宅は今も、ここ津和野町に佇み、その隣には偉業を後世に伝えるため森鴎外記念館が建てられました。ご興味のある方は、一度足を運んでみてはいかかでしょうか。